~麗しの金獣~ 金猫の恩返し 番外編1
~ 麗しの金獣 1 ~
―― 「金猫の恩返し・番外編」 ――
人気も物音も静まり返った夜更け。
中空には煌々と輝き浮かぶ月が、静謐な世界を照らし続けていた。
「・・・・・」
暗い室内でロイがふいに目を覚ます。
神経を集中して、目覚めた違和感を探る内に、暗闇に同化しそうな瞳が
大きく見開かれていく。
職業上、どれだけ熟睡していても気配には敏感だ。
それが・・・、深夜に侵入してくる者の気配なら尚更。
その侵入者が幾ら気配を絶つことに卓越していようとも。
ロイの勤務している東方司令部では、ここ最近何やかやと事件や案件が立て続けで
司令部に泊り込み、仮眠だけで乗り切っていた。
事件の後始末が漸く終わり、事後処理は明日からに回そうと、部下一同にも
労いを籠めて切り上げて戻ってきたのだ。
久しぶりの自宅でのベッドは疲れた身体には事の他快適で、倒れこむようにして
眠りに就いたのは2時間ほど前だから、一番睡眠が深くなる時に妨害者がやって来た事になる。
が、その割にはロイの機嫌は悪くないようだ。
―――それどころか、機嫌上昇中。
こっそりと気配を隠すようにして近付いてくる侵入者を警戒する態勢も見せず、
表情には堪えきれない笑みさえ浮かべている。
起き上がりたいのを我慢して、うずうずした高揚を持て余し気味に、
侵入者が入ってくるのを今か今かと待ち構えている。
それもこれも、こうやって訪れた侵入者の謀を慮っての事だ。
気配は扉の直ぐ傍で止まり、躊躇している気配が伝わってくる。
その様子に、ロイは人知れず声無き笑いを零す。
もう後少しでも外の者が踏鞴を踏み続けていれば、上掛けを跳ね除けて飛び出して
しまっていただろう。
が、ほんの僅かな差で、外の者が動く気配の方が早かった。
・・・・・・・・カチリ。
小さな施錠の音が上げられ、僅かな隙間から身を滑らせるように入って来た気配を感じる。
ロイは先程から微動だにせずに成り行きを見守っている。
静かな吐息は、相手には規則正しい寝息に聞こえるだろう。
―― 実際は、激しく打っている鼓動で、息をするのも苦しい程なのだが。
「・・・なんだよ・・・、こんなにあっさり侵入者を近づけていいのかよ」
落胆と呆れが複雑に交じり合った不満が、小さく囁かれる。
その声を耳にした瞬間、一層鼓動が高鳴った。
それでも、息を潜めてエドワードの行動を待ち続ける。
―― さてさて、彼はどんな選択をしたのやら ――
*****
1年前、エドワードはロイに最後の人体錬成に挑む事を告げた。
ロイは目の前で、緊張した面持ちでロイの返事を待つエドワードを凝視した。
ロイの抱えている心境は複雑だった。
彼らが悲願を叶えてくれる事を本人達同様に願ってき続けたが、
実際その日が来る事をずっと恐れもしていたからだ。
人体錬成の恐ろしさは、エドワード達兄弟と知り合ったその日に目の当たりにしている。
今この少年が、ここでこうしてロイの前に存在していること自体が奇跡のような業だ。
それを再度行う・・・それがどんな意味を持つか。
同じ錬金術師のロイには、痛いほど判ってしまうから。
それでも――。
ロイは俯き加減にのろのろと首を振って、自分の中に巣食う強欲な感情を振り払う。
「――― 気をつけて、行ってきなさい。
そして、必ず・・・必ず、戻ってきてくれ・・・」
それ以外の言葉は、口には出来なかった。
開けば余計な言葉が飛び出してきそうだったから・・・。
ロイの返答に、目に見えて安堵した表情を浮かべるエドワードに、
ロイは自分の選択が間違っていない事を確信して、目の前に居る愛しい少年を
抱きしめる為に腕を伸ばす。
ロイとエドワードが思いを交し合ってから、そう長い月日は過ぎてはいない。
元々、年がら年中旅をしている兄弟だ。合間を縫うようにして会った数も
片手で足りるほどしかない。
それでも、ロイにとってエドワードは、共に歩む相手だという思いは揺るがない。
1つの旅を終えて戻ってくる毎に、エドワードは強く、広く・・そして、優しく成長していく。
そんなエドワードをロイは眩しい思いで見つめてきた。
部下達とは違う大切な存在。それがエドワードだ。
ロイにも叶えなければならない目標がある。部下達は自分に全てを預け、支え
護って着いて来てくれている。
が、それは軍に所属しているロイ・マスタングと云う公の部分だ。
ロイが自分と言うものに然程、固執しなくなって随分と経つ。
日々緊張を強いられる軍にいるから、適度な息抜き、リフレッシュは必要だと
割り切ってはいたが、それ以上には特に臨む気にもならずに過ごしていた。
そんなロイに、エドワードは軍人の彼も人には変わらない存在だと教えてくれた。
何かを諦めて生き続けるのではなく、幸せを掴む為に人は生きるのだと。
ロイの目標が犠牲の上で成り立たせる方法だけでなく、それがロイを幸せにする
未来へと導くものに、そう成る様に。
部下達のように軍の中で共闘してはもらいたくない。
そう告げればエドワードは怒るだろうが・・・。
彼には飽くまでも、ロイの私的な部分を護ってもらいたい。
自分がまた、人として変わり果てた生き物になってしまわないように・・・。
陽だまりのような家。
人の生きる匂いのする空間。
心優しく、気持ち穏かにさせる時間。
明日の世界を築き上げようとする活力を得れる場。
人を人として愛しいと思え、守りたいと思う強さを育ててくれる相手。
軍が過去を償い再び起こさぬようにする為の場なら、
エドワードがロイに与えてくれるものは、未来を信じさせ、望ませるものだ。
そんなロイが、エドワードを自分には無くてはならない相手だと思うまで
然程の時間はかからなかった。
だから危険な錬成には挑んで欲しくなぞなかった。
鋼の手足とて、エドワードを護り助けてくれた愛しい彼の手足に変わりはない。
喉まで出掛かった言葉を飲み込んだのは、それが彼の意思に反する事だったから。
エドワードは、たとえロイがどれだけ思いを告げても、願いを告げても
挑む事は止めないだろう。彼もまた、自分の幸せには希薄な人間だ。
止めれば逃げてでも行う――― たった一人の最愛の弟の為に。
そうなれば、もう二度と戻っては来ないだろう、ロイの元に。
だから、身を切られるような痛みにも耐えて、ロイは「行ってこい」としか
言えない・・いや、言ってはいけないのだから。
再び、エドワードを手にする為には。
そうして旅立つ彼を見送った。
本当の意味で、自分達の未来は彼が戻って来た時に、初めて始まるのだから。
それから数ヵ月後、待ちに待った連絡が入る。
『無事に戻った』と一言だけ。
その後、エドワードからの連絡は無いまま日々が過ぎていく。
*****
そっとロイの様子を探るように近付いてくるエドワードの気配。
恐る恐る伸ばされた手の平が、触れる事を恐れるかのようにロイを取巻く空間を撫でる。
そして、長い時間がロイとエドワードの間に流れていく。
どれ位そうして、エドワードはロイを見続けていたのか、気配がゆらりと動くのを感じる。
「・・・・・・・大佐・・、ロイ。
俺たち戻れたんだ。・・・・・・・・・・・・今まで、ありがとうな」
そう小さく囁いて、音も立てずに踵を返そうとした気配を、
ロイは一瞬にして捕らえて、抱き込んでしまう。
「・・・・!」
突如のロイの行動に、エドワードは驚愕の為に言葉も出せずに驚いている。
「・・・・・・全く」
深い嘆息を吐きながら、ロイは体中を使ってエドワードをベッドに拘束する。
「それで? そのまま去ってしまうつもりだったのかい」
呆れた口調には、ロイの怒りが含まれている。
まだ茫然と自分を見上げたままのエドワードに、ロイは困ったように苦笑して見せる。
「幾らなんでも、ここまで近付かれて気が付かない筈がなかろうが。
それも、君の気配なら尚更だ」
エドワードの両肩を、強い力で押さえつけながらも、その瞳は和らいでいる。
「・・・・・何だよ、狸寝入りなんかしてんなよ」
ぶっすりと不機嫌そうに呟かれた憎まれ口に、変わらぬ彼を感じて嬉しくなる。
「深夜の闖入者のくせに、えらく横柄な態度だな、鋼の」
ロイの呼び掛けに、エドワードは懐かしそうに目を細める。
彼を、エドワードを「鋼の」と呼ぶのはロイしかいない。
それは国家錬金術師の銘であってそれだけではない呼び名だ。
エドワードの覚悟を見届けるロイの意思を感じさせ、時にはエドワードに
己を思い出させる為の特別な名。
公では「鋼の」と呼び、私では「エドワード」と呼ぶ。
二人なりのけじめだ。
―― が、この名で呼ぶのもこれが最後になるだろう ――
そう考えると感慨深いものがある。
「で、エドワード。『ありがとうな』の続きは無いのか?」
ロイの言葉に、エドワードは罰の悪そうな顔をする。
そんなエドワードの様子など気にせずに、ロイは話を続けていく。
「君は・・・。それは少し酷すぎやしないか?
1年もの間、たった1回きりの短い電話だけで恋人をほったらかしにしてて、
寝込みを襲ってくれるのは結構だが、私が寝ている隙に帰ろうとするなんて、
健気に待ち続けた恋人にする仕打ちとしては、最悪だろうが」
嫌味ばかり投げつけてくるロイに、エドワードが怒らないのは、
ロイのエドワードを見つめてくる表情が、余りにも嬉しそうだったからだ。
詰ってくれても良さそうな状態で、ロイはさも嬉しそうにエドワードを見つめている。
その表情が『全てお見通し』と伝えてくる。
一回り以上歳の違う相手には、エドワードの懊悩など簡単に見透かされているのだろう。
それが嬉しくもあり、悔しくもある。
エドワードはエドワードなりに、この一年・・・錬成が無事に終わってからは特に。
悩み続け、考え続けた末なのだ。
自分の犯した罪状を考えると、ここでロイと縁を切っておかないと
今度のロイの立場が悪くなる事だって考えられる。
それも全て――― この男には予想済みと云う事だろうが・・・。
ロイの瞳が一瞬、揺らぐ。
愛しさに輝かせていた光を、切なげに曇らせてエドワードをじっと見る。
「エドワード・・・、『ありがとう』以外の言葉は?」
ロイの切なげに揺れる瞳が告げている、自分達の間にはそれだけしか無いのか・・と。
エドワードは震える唇を噛み締めながら、先程から一瞬たりとも自分から視線を
外さない相手の目を見つめる。
―― 言って良いのだろうか・・・――
そんな考えが頭を過ぎるが、感情はもっと素直に動いていた。
「逢いたかった・・・。ロイ・・、あんたに逢いたかったんだ」
何度も決意して、その度に心が揺らいでも自分に強く言い聞かせていた。
逢っては駄目だと。
逢えば、一目でも見てしまえば、折角した決心が崩れてしまいそうで。
それでも。そう思ってき続けたのに、最後だからと自分に言い訳するようにして
ここへとやって来たのは、ただロイに逢いたかったからなのだ。
エドワードが震える声でそう告げると、あからさまにロイの表情が和らいで、
喜びを表して見せる。
「私もだ・・・エドワード。
お帰り―― 良く無事で・・・・・・」
そう告げると自分に覆いかぶさってくるように抱きしめる相手に、エドワードは
ギュッとしがみ付く。
この一年、どれだけこうして相手に抱きつきたいと思ってきたか。
ロイは灯りを与え、温もりをくれた。
たった一人の肉親が温もりを失ってから初めて、人の温もりを与えてくれたのはロイだ。
今、身体を取り戻したアルフォンスから感じる温もりとは違う温かさ。
それはロイしか与えられず、ロイからしか感じられない。
―― 漸く、終わったんだ ――
満ち足りた想いがエドワードの体中を満たしていく。
長い・・長い旅路。本当は一生の時から思えば僅かな刻だろう。
それでもそれを長いと思うほど、エドワードが疲弊した旅路の果てだ。
身体を満たす安堵感に、緊張していた神経が緩んでいく。
決意を秘めてから訪れるまでの間、エドワードは碌に眠りもせずに過ごしていた。
だから、重くなる瞼と沈んで行く身体をどうする事も出来ない。
そうたとえ、一生懸命に話しかけてくれているロイに悪いと思いつつも・・・。
「エドワード? ・・・眠って?」
話しかけても返事が返らなくなった手の中の恋人に、ロイは少しだけ身体を離して
窺ってみると・・・エドワードは意識を手放した後だった。
「君ね・・・・」
大きなため息を吐き出すと、ロイは苦笑しながら前髪をくしゃりとかき上げる。
「再開の口付けもさせずに置いて行くのかい?」
すやすやと眠るエドワードの頬を撫で、白く柔らかな腕を持ち上げる。
滑らかな傷一つない手は、エドワードの勲章の1つだ。
ロイはそれに敬意を払うように、優しい口付けを何度も贈る。
余りに呆気ない再開は、突如として終わった。
それでも、ロイには不満なぞない。
こうして大切な恋人が、無事に腕の中へと戻ってきたのだ。
これ以上の僥倖を、何を望むことがあるだろうか。
明日からはやらねばならないことが山積みだ。
漸く取り戻した恋人を、このまま手の中に抱き続けるには必要な事ばかり。
飽きずにエドワードを見続けながら、ロイはこれからの事を思い描いて
胸を高鳴らせる。
そう、これから漸く、自分とエドワードの歩む道が重なり始めるのだから。
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